高校の時に書いた鑑賞授業の課題として書いたものです。
重要文化財がずらりと並んだこの美術館は、
主に仮名で埋め付くされ、学校で学んだものもいくつかあった。
伝藤原行成筆の倭漢朗詠抄巻下
伝藤原行成平安時代末期の倭漢朗詠抄巻下は料紙は古く茶色になってしまっていたが、
飛雲、金銀砂子箔散、藍打曇など、素晴らしく、字は細かくかすれがあり、連綿が多く流れがある。
一部にカタカナが書かれ、その当時も使われている事が分かった。
章ごとに区切っているらしく、竹・草などの章があった。
線は非常に繊細で、細太があるので、筆使いにリズムが見られた。
リズムがあることで書いてある内容に深く関わりがあるので、明るいものが書かれているんじゃないだろうか。
伝西行筆平安末の中務集
伝西行筆平安末の中務集は、一品軽懐紙に近い。
歌数226種料紙は、楮紙46丁の内2丁は、叢と板の下絵があった。
茶色でうっすらと書かれ、大和綴り装の冊子。
表紙は近世の装丁で、箱は加賀田家の御用蒔絵師で50嵐派の作品。
字は連綿が多いものの弾力がありメリハリがある。
字は強調され、書く時何か思いつめた事があったため、その様子が字に表われていた。
納められていた箱も華麗で、貝が埋め込まれていたため、光って綺麗。
漆塗りの高級品花も飾られ、手に取ってみたかった。
藤原定家の鎌倉時代の作品・定頼集は、
定家の私家集で歌数1819首、3種の料紙47丁を使用され、綴葉装冊子。
表紙近世の装丁、箱は印籠師椎原市太夫作。
海岸の様子が描かれ、松の木に岩があり、
日本人が好むような風景があり、金箔があちこちにまかれ、砂の様子が表されていた。
字は大きく、少し大げさに書いてあり、筆の強弱が凄い。
感情が高ぶっていたのだろうか。
自分の歌を書くのはやはり、後世に伝えるんだったら、自分を評価してもらいたいと思うし、
自分の名前を残したいという気持ちが私にはそう感じました。
筑後切後撰和歌集断簡 鎌倉時代の伏見天皇筆。
「後撰集」巻16雑二の後半で23首。
筑後切・打曇の料紙を使用し、字が1つ1つで書く、のびのびと書かれており、普通のスペースで、気楽に書いたような感じがした。
伝小野道風 不詳和漢集断簡の継色紙
粘葉装冊子の断簡で、散らし書きがすごく行間があり、
しかも大胆に書かれている。
線の切れが良く、繊細の上に流れがある。
行の字数が少なく、その代わり、横に広げてゆとりを持たせている。
そして、連綿があり、古風な仮名遣いをしている。
伝藤原公任 伊勢集断簡の石山切料紙に模様があり、
草や花が散らばり、墨継ぎの部分では、
太くだんだん細くなり、かすれが出てきている。
なめらかな仮名使いで、連綿が続いているせいだと思う。
懐紙帖 室町から江戸時代の公宴の和歌懐紙やその詠草(草橋)を時代や身分を考慮した配列によって、
手鏡のような体裁に仕立てた帖。50枚の内、15枚同一歌会の懐紙と組み合わせて現状の形。
金砂子はあちこちに草と花のピンクの料紙。
字は太く、細かい部分が少し交ざっている。
高野切第一種 伝紀貫之
太くしたら細くするというふうに、太い線と細い線がうまく調和され、
中心から少し右にずれが出ている。
連綿が多い。
金砂子が全体的にまかれ、字を引き立てている。
全体の感想
国宝・重要文化財が多く、どれも平安時代など、
その時代からずっと守られてきたものが今ここにあるのであって、
今残っているものが、どれだけ大事だかと言う事が改めて感じさせたれました。
今は亡き人々が残していった作品、一つ一つに、
筆者の魂が込められていて、私達はその気持ちまでも一緒に臨書するのが目的だと思う。
ただ、真似して書くだけじゃ何も上達しないと言う事がはっきり鑑賞して分かりました。